SJ推し曲シリーズ① One Fine Spring Day

 

いや~15周年ペンミ、最高でしたね。ペンミというよりほぼスパショでしたけど。10曲以上歌うペンミって何?????

f:id:kindfruit:20201112223350j:image

ファン歴半年のひよっこELFである私は、お兄さんたちと共に歴史を振り返るコーナーを見ながら思いました。「私、過去の曲ぜんぜん知らないのでは……?」と。

というわけで過去のアルバムを順番に聴いている最中なのですが、「いや名曲の宝石箱やん……」と思わず彦摩呂になってしまうくらい名曲しかない。どうしてもこの感動を文字に残しておきたかったので、覚え書きとして記事にしました。たぶんそのうちシリーズ化すると思います。

そんなわけで栄えある1曲目は、第4集収録のリョウクソロ「One Fine Spring Day」。初っ端からソロ曲ですみません。でもどうしても書きたかったので……。

One Fine Spring Day

One Fine Spring Day

  • SUPER JUNIOR
  • ダンス
  • ¥153
  • provided courtesy of iTunes

music.apple.com

この曲はなんといってもサビの「아주 멀리, 아주 멀리 」の伸びが一級品。高音なのにキンキンしなくて、それでいて強く訴えかけてくるような……聴くたびに胸がぎゅっと切なくなります。

もしも何かの間違いでKPOPアイドルに生まれ変われるなら迷いなくリョウクちゃんを選びたいくらい、リョウクちゃんの歌声が好きなんですよね。こんな綺麗に高音出せたら気持ちいいんだろうなぁ~~~。

音楽についてはあまり詳しくないので、コード進行や音作りについてきちんと評価できないのが歯がゆいですが、後ろのシンプルなピアノの音がリョウクちゃんの美声を引き立てていて、耳に心地よい仕上がりになっているなぁと思います。

 

さて、本題はここからです。私は歌詞考察大好きオタクなので、Papago先生やGoogle先生と首っ引きでがんばって訳しました。(明らかな間違いがあったらそっと教えてください)

出だしの歌詞はこんな感じです。

あの日のように 暖かい風が吹いて
君が愛した植木鉢には 花が咲いて
いつの間にか また春の日が来ても
まだ僕は 深い冬の眠りについていたい

「君が愛した植木鉢」というのだから、「君」とは同じ部屋に住んでいたのだろうと想像できます。暖かい風が吹いて花が咲く春の日、けれど「僕」はそれに心を躍らせるのではなく、「深い冬の眠りについていたい」。その理由はこのあとのサビを聞くと見えてきます。

はるか遠く はるか遠くに 君がいるのでしょうか
ほんとうは僕 毎日君のことが恋しいのに
とても小さな とても小さな ささいなことにも
毎日 君を思い出す

これが一番のサビです。「君」とはもう一緒ではなく、遠く離れてしまったことがわかります。とても春の陽気に浮かれる気分にはなれないわけですね。ここまではごく一般的な別れの曲ともいえるでしょう。

では、二番の歌詞も見てみましょう。

部屋いっぱいに残って 慰めてくれた
君の香りが花の中に散って
いつか感じられなくなってしまいそうで
君がいた空気さえも 留めておきたい

「僕」の部屋にまだ「君」の香りが残っているということは、「君」が部屋を去ってからあまり時間が経っていないのかもしれません。その香りが花の香りでかき消されてしまうのでは、と恐れているんですね。「君」との思い出が詰まった植木鉢の花さえも、「君がいた空気」を消してしまう邪魔者に見えている。居なくなった「君」への強い執着が感じられる歌詞です。

一日が何ヶ月になって
いつかは僕の心にも
今日のような新しい春が来るはずなのに

ここがCメロの歌詞です。「一日が何ヶ月になって」とあるので、別れからもう数ヶ月がたっていることがうかがえます。数ヶ月もたてば空気の中の香りは消えているでしょうが、衣服やクッションなど布製のものにはまだ香りが残っているかもしれません。

「君の香り」を詩的な表現ととらえるか、鼻で感じる本当の香りととらえるかは自由ですが、花を引き合いに出しているあたり、後者のことを言っているのではないかと解釈しました。

はるか遠い はるか遠い 遠い所にいるんですね
君の毎日は春の日だと信じて
ずっと先の日 ずっと先の日 君が僕に会ったなら
「いつも一緒にいたよ」と言ってね

さて、問題はここです。「『いつも一緒にいたよ』と言ってね」って、なんだか違和感がありませんか?もし相手がただの別れた恋人なら、「いつも一緒にいたよ」という台詞は成立しないはずです。だって「僕」と「君」はもう一緒にはいないのですから。

物理的に同じ空間にいないのに、「きっと〇〇さんも見てくれていることでしょう」と言うことがありますね。そう、〇〇さんが既にこの世の人ではない場合です。

先ほど、「君」が居なくなってからもう何ヶ月もたつのに、まだ部屋に香りが残っているという話をしました。つまりこの部屋にはまだ「君」の持ち物が残っているのではないでしょうか?

「君」が自発的に部屋を去ったのなら、自分の持ち物をまとめて出ていくのが自然です。そうではなく、「君」だけが居なくなってしまった──つまり、亡くなってしまったと考えるとしっくりきます。そう考えると「はるか遠い所にいるんですね」という歌詞がいっそう泣ける……。

春が来ても「深い冬の眠りについていたい」けれど、「君の毎日」「春の日」であってほしい。そんな対比も切なさをいっそう引き立てます。

特定の香りが、それと結びつく記憶を呼び起こすことを「プルースト効果」というのだそうです。もう「君」に会うことも、触れることも、声を聞くこともできない「僕」にとって、香りが唯一「君」を思い出すよすがだったのでしょう。けれど香りはいつか消えてしまうから、やっぱり本人からの「いつも一緒にいたよ」という言葉が聞きたいんですね。うう……切ねえ……。

f:id:kindfruit:20201112233842j:image

おかしいな、ツイートの延長でサクッと書くつもりだったのに2000字を超えている……。書いているうちにどんどん解釈が生えてきてしまうんですよね。こんな感じでつらつら書いていきますので、お暇な方は今後もお付き合いくだされば幸いです。

ではまた。